介護デザインプロジェクト

このブログでは、
介護の現場エピソードや、現在の社会問題について情報を発信していきます。

カゾクロ オンラインショップ

事例253「人生会議」のポスター議論から

350cc4029c35164db3d8cc4c3dd91e95_s.jpg
厚生労働省の「人生会議」のポスターについて様々に議論されている話題を見ていて、祖父が亡くなった時の家族のことを思い出していました。




祖父は私が高校生の時に亡くなりました。
前日まで特に変わった様子はなく、病院にも通っていませんでした。

亡くなった当日、なんとなく頭痛がするといいながらも、「散髪に行ってくる」と家を出て、床屋さんまでの道端で倒れているところを通りすがりの人に発見され、救急車で病院に運ばれました。

すでに意識はなく、家族が病院に到着した頃には人工呼吸器をつけていました。
脳出血でした。
脳幹と呼ばれる部分で大量に出血しており、手術は不可能と判断されました。

家族、特に祖母にとっては、突然の出来事にパニックでした。
祖母と母が先生に呼ばれ、回復の見込みがないことを説明され、人工呼吸器を外すか外さないかの選択を突然迫られました。

家族で話し合う時間を設けられ、祖母、母、母の兄弟たちが揃ったところで話しあった結果、
“その時は”祖母も納得して人工呼吸器を外すことになりました。
外して間も無く息を引き取りました。

そこからバタバタと親戚への連絡や葬儀のあれこれで忙しく時が過ぎて行きました。
一通りのことが終わり、落ち着いた時、祖母が病院での出来事を振り返る話をしました。

「じいさんは、病院に殺されたんだ。私は人工呼吸器を外すなんて一言も言ってない。そんなつもりもなかった。医者が勝手に外したんだ。医者に殺されたんだ。」

あまりの突然の出来事に、パニックだった祖母は、病院での出来事を何一つ覚えていなかったのです。母と先生の部屋に呼ばれたこと、家族みんなで話し合ったこと、全員一致での決断だったこと、全てです。

あまりに突然でショックな出来事が起こった時、もしかしたら、正しい判断や選択ができない可能性がある、そしてその決断を正しい記憶で残せるかどうかも分からないかもしれない、という事を見ていて感じたものです。


もし、いざという時に自分の意思を言葉や何かで家族に伝えることができていたら、突然のことにさらされた家族は迷わずに済むのではないか、後から後悔することが少なくなるのではないか。

体は動かなくてもまだ意識があるとしたら、家族が自分の意思を尊重してくれようとしていたら、ありがたいと思えるのではないだろうか、とも思います。

そういう意味で、今回のポスターの表現がどうだったかはいろんな議論があると思いますが、
いざという時のことを家族で考える「人生会議」において、元気なうちから家族で考え、話をすることが根付き、自分の望む最後が迎えられるようになることは、とても大切なことだと思っています。




Posted by おこないちかこ on  | 0 comments 

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

該当の記事は見つかりませんでした。